溺れるナイフ
見てきました。
映画溺れるナイフ。
どこから感想言おう…
漫画を知らない私が、映画を見て感じ取ったことを残しておきたくて書く記事です。
完全にどハマりしてる作品。
まさキッスが演じてるコウちゃん、どこか大人びてて、10代ながらにして何かをわかっている男の子。夏芽が写真撮影をしてるときに、写真家の広能さんに石を投げて、そいつは俺のもんじゃって言い放つ、時折見せる人間くささというか子どもっぽさ、いや、幼さがまたコウちゃんという人間を形成していたなぁという印象。
コウちゃんは、綺麗で、儚くて、先を見つめてて、大人で、男で、男の子で、美しい。
あの世界なら絶対に私も追っかけたい。
好きなシーンは、川辺でコウちゃんが夏目に言った言葉。
力のある人間ならその力を最大限に使いたい。
ってところ。
きっと、夏芽の輝ける場所を知っていたんだよね。
それはコウちゃんの隣にいることじゃないって。
夏芽は綺麗。
俺のものにしたかった。
胸を締め付けられる。
先を見つめてるようだった。
夏芽は、輝ける場所があって、それを引き出してくれる人に出会えて、誰にも持てない強みを持ってる子な感じがした。だけど、強くなんかなくて、強くなろうとしていて、儚くも綺麗な女の子。
女の子。
そして、大友。
大友はあったかいあったかい男の子。
静かな大人の男の子。夏芽の事が大好きで、嫌いになんかなれなくて、夏芽が笑っていられるなら自分の気持ちを殺すことができる、優しい優しい男の子。優しくなんてしてないで、もっと夏芽をうばっちまえよ。思っていた。
大友は優しいからそんなことしないよね。
俺じゃだめか?
ダメなわけないんだよ。
大友より優しくてあったかい男の子、この世界にいないと思う。
ほんとなら、大友に惚れない女の子いないと思うんだよ。
誰かの言葉を借りて言うなら、コウちゃんと夏芽は特別だったから、この2人じゃなきゃだめだったんだよ。
溺れるナイフで私もわかったことがある。(感情移入するタイプですんません。)
人は輝ける場所があって、それは人それぞれ違うの。
だから人は力を最大限に使うべきだ。
それなら私は?
人と違う?変わっている?
そんなんで悩んで立ち止まってるなよ。
それが私の力じゃん!
人と違うところ、変わってるところ、感性が違うってことなんだと思うからさ、それを最大限使おう。
それを使う場所を見つけよう。とどまるな。
輝ける場所、ここじゃない。
見つけないと、綺麗に輝いてない人間になるよ。
私が輝ける場所で、力を最大限に使うんだ。
もう答え出てるよね、私。